夜に潜む妖怪たち-金とタトゥーと男と女 編-
金とタトゥーと男と女 編
「一晩20万でどう?」
眠らない街には魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住んでいる。
私が20代のころ、2年間だけ在籍したキャバクラというところ。ここにも勿論、人間に化けた妖怪はいるわけで。
シリーズ第二弾はこんな妖怪のハナシ・・。(シリーズ第一弾はこちらから)
距離感のない男
店に一人で現れた男性。
当時の推定年齢で50代中盤〜後半というところだろうか。
仕立ての良いスーツ。身体も鍛えているのか、年齢の割に体格が良い。
身に着ける物はハイブランドで固めている。ロマンスグレーの髪を後ろへ流し自信みなぎるその男の眼は、銀縁眼鏡の奥からギョロギョロと粘るように周りを物色していた。
指名なしで訪れたその男の席に、私は着くことになった。私が席に着くなり、男は身を乗り出し必要以上に近い距離で話してくる。男からは強い煙草の臭い。
口臭と混じったその臭いが不快で、気分が悪い。一刻でも早く席を離れたかったが、男から指名され、そのまま席に残ることになってしまった。
一晩20万
距離感のない男の言葉を当り障りなく交わしていると男は臭い息を吐きながら私の耳元で囁いた。
「一晩20万でどう?」
冒頭のセリフだ。
体の関係を迫ってくるようなことを言われるのは正直この世界に入って割とよくあることだったが、こんなに直球で来られることはそうそう無い。男は言い慣れた様子だ。
また、この男の本気のトーンが実に気持ち悪かった。これが仕事でなくプライベートな場であれば、持っているグラスを男の頭上からひっくり返してやりたいところだが、今はあくまでも仕事中なのだ。
拒絶せず、ホステスとして対応しなければならないのがこの仕事の辛いところの一つでもある。
気持ち悪さで全身に立つ鳥肌を感じながら私はにこやかに微笑み
「そんなこといつも言ってるんですかぁ?」
などと言い、受け入れも拒絶もせず、話をこれからどう逸していこうかということに神経を集中させていた。
A子(仮)
私がのらりくらりと男の話をはぐらかしていると一人のホステスが私たちの席の前に現れた。
彼女は私の少し後に入店したホステスだった。仮にA子としよう。A子は私と年はあまり変わらず明るくさばさばとしていて、場を盛り上げるのが得意なホステスだった。
接点があまりなく、言葉を交わしたことはそんなになかったが腰掛けでアルバイトをしているような私とは違い、ホステスとして懸命に頑張っている印象であった。
そしてどこか、いつも何かに必死な雰囲気も纏っていた。
A子は、男に意味ありげに微笑み、軽く会釈をして無言で立ち去っていった。
「この間はどうも」
彼女の表情からはこんな言葉が聞こえた気がした。
A子が立ち去った後、男はバツが悪そうにこう言った。
「いやぁ、あの子さ、こないだ家賃が払えないって言ってきたから、助けてやったんだよ」
蝶
それから男は聞いてもいないのに、A子とのことをベラベラと喋り始めた。
要は、私と同じようにA子を口説いた際、A子は一夜を共にする代わりに、家賃代を払ってほしいと言ったそうだ。
この男からすれば願ったり叶ったりな状況であっただろう。男は話をやめない。
「それでさ、いざしようとしたらさ、最後までできなかったの。なんでだと思う?」
「なんでですか?」
男は自分の内ももの付け根を指差しながらこう言った。
「ここ、ここにさ、タトゥーがあったんだよ。蝶の。それで俺萎えちゃったの。タトゥー嫌いなんだよねー、俺。」
「へー。」
知らんけど。
最後まで致さなかった彼は、結局A子に2万円だけ払い帰ったのだと言う。ベラベラと口の軽い男だ。
その後、男は最後までバツが悪そうな様子で店を去った。
私は思った。
そんなに気まずいなら、なんでこの店来たーん?
しかし、おかげでしつこい誘いから逃れることができたのだ。A子のあの時の登場に感謝。
その日から男を店で見ることはなかったが懲りずに店を変え、お金をチラつかせ口説き回っていたに違いない。
あとがき
この世界、お金で動かそうとする者も、お金で動く者も五万といるだろう。夜の世界において、それはとてもさもしく見えるのだ。
男は金で。女は体で。逆も然り。そんな彼らを妖怪と呼ぶには的外れだろうか。
ただ、この頃のことを思い出し、時々こう思うことがある。もし当時の私が、お金に困り、執着していたのなら、A子のように誘いに乗ってしまっていただろうか?
いやいやいや。今そう考えただけでも身の毛がよだつ。妖怪になるには、私はきっと潔癖すぎるのだ。
「俺萎えちゃったの。タトゥー嫌いなんだよねー、俺。」
最後にもう一度言わせて。
知らんわ。
夜の街には魑魅魍魎が住む。
金とタトゥーと男と女 編 ー終ー
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